vol.51 不運であったとしても不幸にならない・・・そんな社会が

2017/04/01

 恒例のバザーの日が近づいてきました。今年も、またお会いできるでしょうか。お父さんも、お母さんも高齢になってきましたので、運営に参加できない方もおられます。40年近くたてば、親も高齢ですから。ふとしたきっかけで、お邪魔するようになった福祉施設。父母の会をまとめておられる方と、前夜に酒を飲みながらお話しをするのが、いつものスタイルでした。野球の話や、昔の話、とりとめのない話を楽しく。
 その方は何にも言わないけれど、わたしは違うところで聞いた「子供が自閉症と診断されたとき、私と家内は目の前が真っ暗になった。でも、『障害をもって生まれた子供は不運であっても、不幸ではない人生を送ることはできる』と言うお医者さんの言葉に支えられてね、子供の『不幸でない人生』を探しながら今日までやってきたように思う。親の自分が死んだら、どうなるかな。日本の社会が、福祉政策が温かくて、頼りになるものであるといいのだが。・・・」という言葉を思い出します。
 この施設ができたころは、十八歳になると認可施設を出され、いくところがなかったそうです。卒園しなければならない超重度といわれる肢体不自由者の成人の入所できる施設として、県内にはじめてできたものでした。「誰もが人間として尊厳が保たれ、安心して共に生きる社会をめざす」という理想を掲げ、変わることなく、「利用者とその家族、そして職員の熱い思いや志を、多くの方にご助力をいただきながら、必要な事業として立ち上げ、大きく成長」してきました。
 ホームページには「社会情勢は創設当時からは大きく変わり、措置から利用契約へ、国などの補助金も得にくくなり、社会福祉法人にも運営だけでなく経営を求められるようになりました。障害者自立支援法は廃案となる方向で制度や仕組みは変わって行きます。」それでも「創設の理念を守りながら、新しい時代に新しい考え方・やり方など具体的に取り組むために、・・・体制を整備していきます。」と書かれていました。看護師の求人情報を見ると「日勤のみなので私生活とのバランスもとりやすい。住宅手当や家族手当、資格手当など支給があり働きやすい」とありました。法律の上では必要不可欠な人材の募集であり、なかなか確保しにくいのでしょう。
 理想のために、他人から見て生活を犠牲にして福祉の仕事に携われた人々の地道な活動によって今日にいたった組織も、成長とともに社会の環境と制約の中で変わって行くのでしょうか。理想が言葉だけのものでなく、また組織経営を維持する形骸化したうたい文句ではなく、生き続けている理想であり続けるのは、現場で働く職員の方々が理想を共有し、同時に時代や組織の実情に応じた現実的な改善が行われていくことがいるのでしょう。そして、周囲の人々が理解し支え、社会がその理想を尊重し、行政や政治が法律と予算を与えることも。
 施設が本当に必要にしていることをわたしにはよくわかってはいないけれど、「理想」を守って働いている職員方々とお父さんやお母さんの少しは役に立っていると思って、今年もバザーのお手伝いに行こうと思っています。参加する学生や子供たちが、わかってくれることを期待して。わたしが居なくなっても、続いていくことを願って。
(文/須田 剛)