vol.53 開祖の志を理解する三本柱

2017/08/01

 約四十年前、私は全日本学生少林寺拳法連盟委員長という役目がら、大学生の研修制度を開祖にお願いをしました。大学本部合宿のときに毎週数名の大学生を研修生として受け入れてもらうというものでした。一日中、本山の先生方に指導を受けられるという希望を持って集まった大学幹部は、当時山門衆と呼ばれた先生方といっしょに、山の草刈りや庭の手入れ、ペンキ塗りなどの、いわゆる作務が一日のほとんどという現実に愕然としたものです。
 しかし、そのような中にあって、月、水、金の夜に全国から駆けつけたられた指導員の先生方から研修生だけを対象にした技術や講義をしてくださった時間は私たちの宝になっています。(火、木、土の夜は本部道院で修練)中でも、鈴木義孝 元金剛禅総本山少林寺代表(現SHORINJI KEMPO UNITY顧問)の講義は私にとっても、とても新鮮かつ貴重で今でも当時のノートを度々開きます。
 金剛禅は、開祖という人格と、その思想から生まれた宗教ですが、金剛禅の教えの根底には「釈尊の正しい教え」が流れています。しかし、金剛禅は釈尊の教えを基盤とするものではありますが、釈尊の教えとイコールではありません。金剛禅の教えは釈尊の正しい教えを基盤におきながらも、何といっても開祖という人格と思想に裏付けられています。ですから、その本質を理解するには、開祖の体験と行動を知らなければなりません。そこで鈴木元代表が開祖という人間をより深く理解するために必要なものとして示されたのが、次の三本柱でした。
一. 原始仏教
二. 昭和史
三. 武道スポーツ論
 まず、私たちが少林寺拳法の特徴としていつも説明に使う「自己確立」や「自他共楽」なども「釈尊の正しい教え」を基盤としたものです。私たちは金剛禅の思想の基盤となる「釈尊の正しい教え」を正しく理解し、開祖が何を正しいとして継承し、何をそうではないとして否定されたのか。そのためにはまず、釈尊生存中とその後の約百年間、仏教教団が分裂するまでの原始仏教について正しく知らなければなりません。
 次に、少林寺拳法開創の動機と目的は何といっても満州で敗戦を迎え、その後の一年間をソ連軍政下におかれた開祖の体験にありますから、満洲国の成立から滅亡までを知り、さらには、開祖の生い立ちから、十四歳で満洲に渡り開祖が生き抜いた昭和初期という怒涛の時代を振り返らなければなりません。開祖がどのような時代を生き、どのような経験をしたかを知らなければ、金剛禅の教えは理解できないのです。ここに昭和史の必要性があります。
 さらには、単なる武道やスポーツではないと言うならば、では武道と何か、スポーツとは何かを問わなければなりません。少林寺拳法という身体運動を行としている以上、その身体運動が身心にどのような影響、効果を与えるか。養行であり、健康増進、精神修養に役立つのなら、どの様な修練方法が身心に健康増進としての効果があるのか。反対にどのような修練方法であると身体に悪影響をおよぼすのかも知らなければなりません。
 私たちはこの三本柱についての理解を深める事を通して、「人間」を探求しなければならないのです。
(文/東山 忠裕)