vol.54 原始仏教

2017/09/01

 「人、人、人、すべては人の質にある」 金剛禅の出発点は、この開祖の確信にありました。「人づくり」の手段には何がいちばんふさわしいのか?開祖のさまざまな体験から生まれたのが、教えとしての「金剛禅」であり、その行としての「少林寺拳法」でした。
 そして、開祖が「金剛禅」の教えの基盤とされたのが「釈尊の正しい教え」だったのです。
 釈尊の入滅後まもなく、「これぞ釈尊の正しい教えである」というものを確立しておこうとして第一結集が開催されました。長老マハーカッサパ以下五百人の阿羅漢が集まり、釈尊の言葉を確認して、皆が承認した聖句を全員で唱和したのです。こうして最初期の経典がつくられていきます。
 それから約百年後、二回目の結集のあと仏教教団は分裂をはじめ、その後二百年の間に二十程の教団に分裂していきます。この仏教教団が分裂する以前を「原始仏教」と呼んでいます。また、特に釈尊存命中を、最も純粋で根本的であるとして、「根本仏教」と呼んでいます。
 このように、仏教はインドにおいても時代とともに変化していき、紀元前後に興った大乗仏教(大乗仏教側は、それ以前の仏教を小乗仏教と呼びました)が、中国を経て日本に伝わり、日本においてももともとあった日本の神との習合や、国家権力との迎合や統制により大きく変化し、日本の仏教は根本仏教や原始仏教とは非なるものとなっていきました。それゆえ開祖は、既成の仏教教団が釈尊の正しい教えから、かけ離れているとして、厳しく批判されたのです。
 では、開祖が金剛禅の教えの基盤とされた「釈尊の正しい教え」とはどのようなものなのでしょう。開祖は我々の信仰の中心である「ダーマ」を説くとき
(一)霊性としてのダーマ
(二)法としてのダーマ
(三)徳性としてのダーマ
 として目には見えない力を、私たちにわかりやすく説明されました。これらの根底にあるのが、釈尊が成道後の最初の説法(初転法輪)で説かれた縁起の理法であり、中道、四諦、八正道なのです。
 縁起の理法は、深遠で、微妙で、難解で、目に見ることはできず、言葉にもならないものでした。それは一種のはたらきであって、頭で理解するというより、身体で感じるものでした。その理法の存在を気づかせるものが、中道、四諦、八正道であり、これにより自分自身がどのように生きるべきかを具体的に明らかにされているのです。
 この縁起の理法、中道、四諦、八正道こそが「釈尊の正しい教え」の中核であり、釈尊は生きている人間がいかに生きるかを説かれていることを忘れてはなりません。開祖もまた、人間の生き方を問われたのです。
 私たちは、仏教がインドでどのように変化したのか。そして中国を経て日本にどのように伝わったのか。そして日本に仏教伝来後千年以上の間にどのように変わってきたのかを知らなければなりません。そして、開祖がうち立てられた金剛禅の教えをより理解するために、釈尊の正しい教えについて深く掘り下げなければなりません。
(文/東山 忠裕)