vol.55 群馬みどり道院 道院長 中島 匡裕

2017/11/01

どうせ後悔するならやってから後悔しろ
群馬みどり道院 道院長 中島匡裕

中導師、大拳士、六段 441期。
1968年10月2日生まれ。 49歳
出身地:群馬県桐生市
1985年桐生道院入門
1987年花田學園に転籍
     (日本鍼灸理療専門学校花田学園)
1993年池袋道院に転籍
1994年帰郷に伴い桐生道院へ転籍
2010年群馬みどり道院設立
2011年認証、現在に至る

群馬みどり道院 道院長 中島匡裕

―――道院長になろうと思ったきっかけは何でしょうか。
最初のきっかけは入門した高校時代。桐生道院の初代道院長である杭田要道院長に師事し、「この人のようになりたい」と思ったことが最初でした。その後、社会人になり、そんなこともほとんど忘れて一拳士として桐生道院に在籍していた頃、渋川道院の樋口雅人道院長に、「そろそろ考えたらどうか。道院長になろうと思ったことはないか。もしあるなら一度なってみろ。どうせ後悔するなら、ならないでするより、なってから後悔しろ。また来月返事を聞くからな」と言われました。一ヶ月真剣に考えてから、まずは二代目桐生道院長の小嶋武志道院長(現 桐生道院長)に自分の考えを報告し、いずれ道院を考えたいと申し伝えたところ、「ならば思い立った時がよい」と、江原謙治教区長と先代の杭田要先生に一緒に話をして下さいました。その後、修練場所の確保や道院長資格認定研修会などを経て、半年後には、まだ道院が設立されたことのない、平成の大合併で新しく市になった、群馬県みどり市に群馬みどり道院を出すに至りました。
なろうと思ったきっかけというよりも、かつて道院長になろうと思っていたことを周りの人達のおかげで思い出し、後押しをしていただいたというところが正しいと思います。

―――道院設立時のエピソードをお聞かせください。
・道院開きにおいて
道院開きの初日に古巣の小嶋武志道院長(桐生道院)に奉納演武の相手をしていただき、桐生道院からも多くの拳士の方々が激励に訪れてくれました。また、市川勝彦道院長(群馬富岡道院)を始め、渡良瀬道院や群馬新田道院からも初日の稽古に足を運んでくれた拳士の方々がおり、大変にぎやかな道院開き式を行うことができました。
・専有道場の確保
道院活動を始めておよそ半年程が過ぎ、拳士数も二桁となり、やや軌道に乗りつつあるかとも思えた2011年3月11日。東日本大震災にみまわれ、震災の影響で約3ヶ月のあいだ修練場所が使用できず、気が付いたら在籍拳士数が3人になっていました。
修練場所の使用許可がようやく出て再開したのもつかの間、私自身が肺炎と肝炎で入院し、復調して落ち着いた頃には設立から一年が経っていました。何もできずに一年が過ぎていたことに愕然としたのを覚えています。
2013年の正月に、仕事を隠居して郊外に引っ越して悠々自適に生活している叔父から、自分が経営していた金型工場の跡地と元の住まいを誰か買ってくれないかと相談を受けました。こちらも丁度、修練可能な専有道場を確保せねばならず、どこから手を付けようかと思っていた矢先であったため、渡りに船とばかり、叔父の話に乗りました。条件は工場跡地の土地建物と隣の元住まいである一軒家の土地建物の二棟を購入して欲しいとのことで、元の住まいは現在借家で人が住んでいました。組織機構改革が無くともいつかは自前道場をと考えていました。僅かばかりの蓄えをしてはいたものの到底足りないので、ダメもとで仕事の取引をしている信用金庫へ相談をしに久し振りにこちらから出向いたところ、当時の信用金庫の支店長がかつて桐生道院に在籍していた少年拳士の父親だったことから、少林寺拳法の事情について改めて多くを話さなくても、こちらの意を汲んでくださり、うまい具合に話が進み、営利目的でない少林寺拳法にお金を融資できないが、丁度借家の賃貸もあるなら私がオーナーになって、二棟の建物を既に住んでいる人と少林寺拳法に貸しているという形をとってもらえれば、毎月の返済を家賃収入で賄えるので融資できるとアドバイスをもらい、そのようにさせてもらいました。法縁、良縁に恵まれたと思います。
・印象的なエピソード

専有道場の場所を確保した際には、桐生道院の三井拳士と大出拳士に自筆の看板を作成していただけました。そのおかげで出入り口に立派な看板を掲げることができ、その他にも祭壇の台、サンドバッグやトレーニング機器、映写機のスクリーンやプロジェクター、ホワイトボード、テーブル、コップと食器や食器棚などを、ありがたいことに様々な方々から、ほぼ無償提供していただけました。奇跡的なタイミングと出来事であり、特に道院で使える柔道用の畳を50枚以上確保していただいた、村上尚道院長(渋川道院)や追加で20枚の畳を都合して下さった高橋公一道院長(上州白根道院)にも大変感謝しております。また、その畳を並べて敷くなど内装作業を手弁当で手伝ってくれた拳士達とそのご家族にも大変お世話になりました。

基本演練の様子

―――道院での指導方針や指導法としての工夫を教えてください。
 群馬みどり道院の基本方針は「和気藹々と、自分のできる守備範囲でできることをできる時にできるだけやろう」です。やはり無理が過ぎれば続かなくなりますし、好きなことも嫌いにならない程度の熱の入れようを大事にしたいと思っています。もっともその守備範囲を広げられるかどうかも自分の修行次第であると言い含めています。どこの誰でもその時々で、自分自身が看板であり、自分自身が若輩であることも受け止めてもらっています。
また、「自分がなりたい自分自身を想像しよう。なりたくない人はどんな人か想像してみよう。そして自分は、そのどちらの人のようなことをしているか考えてみよう」などと、言って聞かせることがあります。低学年には難しいようですが、高学年は真剣に考え、自我が目覚めるようです。日によって異なりますが、学科や講話、法話や絵本などと別に、このような話を鎮魂行の後に5分程度話してから稽古に移ります。そうすると人によって集中力が高くなります。そして、集中力が高くなった子は周囲にも伝染し、影響を与えます。
他には、稽古後の発表も恒例で、ほぼ毎回行っています。その日にどんなことを覚えたか確認の意味も込めて、迎えの保護者の前で見てもらいます。1つ2つでも構わないのでやってもらうと保護者共々熱の入れようと意識が変わるようです。ちなみに一般の拳士も修練の最後に行います。指導側も自分の教え方の弱点を知り、他の人のアドバイスも聞ける良い場となります。

相対演練の様子

―――道院長になって出会った感動のエピソードをお聞かせください。
小さな感激は数多くあり、挙げればきりがありませんが、総じて、入門したての頃はていたような子が、だんだん洗練されていき、上達するにつれ後輩の指導や面倒を見られるまでになるのは大変うれしいです。少林寺拳法連盟の大会で、入賞から縁がなかったり遠ざかったりしている子がある大会で表彰されたりすることもうれしく思いますが、一番うれしいのは挨拶や言葉遣いのなっていなかった子が、やがてしっかりして周りをまとめたり、何かの役に立とうとして注意を払ってくれることです。そのときだけの刹那的な喜びや、点数的な利害のために行動するのでなく、自分で自分をコントロールする術を学んでいると思えることが多くあります。
その他、道院設立や専有道場での良縁もそうですが、拳士の昇格考試前に「自分の所にも受験者がいるから出稽古に来ないか」と、の原新一道院長(群馬多々良道院)に受験者共々出稽古に招待してくださり、数週間一緒に稽古させていただいたことなど、法縁の数々に恵まれた人間関係と群馬県教区のつながりのありがたさを思います。
また、個人的なことではありますが、本山の道院長研修会でおよそ30年ぶりに再開した先輩で花田學園の光澤弘部長がおり、久し振りに言葉を交わした時は、本当に無沙汰をしていたため募る話にうれしく思いました。続けていると、こういうこともあるんだなと思いました。

―――道院長として今挑戦したいことや夢などを語ってください。
―自分自身にも誰かの役にも立てる人を育てたい
少林寺拳法の仲間は本当に横のつながりが強く、私自身、何度も助けられています。無論自分も恩返しのつもりでお役に立ちたいですが、この関係を学び、自分もそんな人になり、少林寺拳法だけに限らず、そんな後輩を育てたいという拳士が出てくれるとうれしいです。
草の根運動なので見えにくいですが、『器や夢が小粒と言われても、自分なりの松下村塾』のような場所をつくれる人を育てたいです。

新春初稽古後に行った餅つきの様子

―――仕事や家庭についてどの様に両立させてますか。
私の場合は、仕事が自営業で多少の融通は利くのですが、どの道院でも道院長、拳士に限らず、家族の理解と内助の功がなければ続けられないと思います。 
私は、結婚前から妻を道院行事や道院幹部の親睦会など、打ち解けやすい行事から顔を出させて、私が所属している団体について肌で感じてもらいながら、最後は本山で開祖の墓前に線香を上げてもらいました。また、娘を入門させ、行事などには妻を保護者として時々参加させながら、道院とはこういうものだということを理解してもらっています。
また、我が家では、副道院長をして下さっている藤井洋一拳士が私の結婚式の時に、家庭を持った先輩からの教えとしてスピーチしてくれた言葉を家訓としています。それは、「ひたすら女房の尻には敷かれなさい」です。おかげで我が家は円満です(笑)

 ―――最後に将来道院長を目指す全国の拳士へ、一言エールをお願いします。
―これから道院長を目指す拳士達へ
諸先輩道院長の方々も、このコラムで紹介された道院長の先生方も、同じようなことを思い、同じようなコメントをしていますが、やはり失敗も後悔も恥ずかしい思いも数多くあります。ですが、同じ数だけの喜びや、やり甲斐もあります。良くも悪くも決して自分だけということはないようです。同じ時を過ごすなら、助けられながら、時には助けながら互いを高め合う環境と、その思いを拡散できる自分たちの居場所をつくってみてはいかがでしょう。あなたの思いを引き継ぐ人も数多くできるかも知れません。目的から目を背けなければ道院長という立場も良いものです。事情が許すなら、志を立ててみてはいかがでしょう。