vol.57 ダーマ信仰→人間尊重の自覚→信念

2018/03/01

 開祖は、ダーマの認識について、
「宇宙に遍満するいのちのはたらきとして理解し、全ての生きとし生けるものは、その大いなる力に生かされていると信じ、その上で自己の確立、己の価値の発見と言うことを主張し、教育し続けてきたが、本当の信仰とはそうでなければならない。」
 と述べられています。
 また、その上で、
「信仰なんて言葉を聞いたとたん毛嫌いする人がいるが、人間としての自己の正しいあり方、尊厳を自覚する唯一の道は信仰であり、それは人間尊重を自覚させ生み出す信念でもある。」
 と述べられています。
 これが、私にとってのダーマ信仰の基本となっています。
 その上で、人間は誰もが可能性の種子として存在する、と言う、見方、考え、を持ち、何より大事なことは、具体的な努力や積み重ねがなければ、その種子は育たず、開花結実することはなく、選択の余地は努力次第であり、誰にでも常にあると明言されています。
 ダーマ信仰という言葉が、本誌にもよく出てくるようになったのですが、目を向け、気づく人と気づかない人との相違点は、同じ「行」であっても大きな差が生じます。
 信仰の確信を得ていない指導者には信念が感じられず、伝えるものも希薄になると思われます。
 私は、開祖の言われる、ダーマ信仰とは、教えに対する自己の気づきであり、共感であり、なにより精進である、と示されていることに注視しています。
 そして、これが確信から得た自信であり信仰心であると考えます。
 ダーマの大いなる力を、開祖から直接教示を受けた方々は、その意を得るのに、文章ではなく、人から人への心の伝授であったはずです。
 もちろん、どの様な中でも、全ては自らのことであり、耳を塞ぎ、目を閉じている者には伝わりません。
 我々の信仰の中心はダーマだと教典に示されていますし、それを鎮魂行で心に刻んでいます。
 ダーマ信仰なくして金剛禅は成立しないことは、冒頭の開祖のお言葉で明白です。
 その上で、我々の「行」の基本は、鎮魂行と易筋行、心の伝達である法話(教えに基づいた行としての)にあります。
 そして、何より大事なことは、常日頃の生活態度、姿勢にあります。道院での修行と、社会での実践が「行」の基本となり、それを指導者自らが率先垂範する事から見直す時期であると自戒しています。
 鎮魂行を正確な手順によって行う習慣をつけ、易筋行としての修練のあり方を見つめ、独善的なものにならず、それらを積み重ね、生活の中にもダーマ信仰を取り入れていく事が重要であるといえます。
 71年目の今年、今一度原点に振り返り、道院での修練を見直し、「行」を積み重ねる機会として、ダーマ信仰に向き合いたいと考えています。
 多くの方々に叱咤、激励して頂ける「今」を大切にし、感謝を積み重ね、死ぬまで修行です。
 ダーマと共に。(May the dharma be with you.)
(文/松本 好史)