Vol.59 生きる上で大切な節目に少林寺拳法が繋げたい思い
2018/05/09
インドネシアのジャカルタで行われた、イスラムの結婚披露レセプションに出席する機会がありました。本来ならば結婚式にも出席するはずだったのですが、前日に羽田を離陸するはずの飛行機が機材トラブルで16時間も遅れて真夜中に飛び立つこととなり、式には間に合いませんでした。
到着してから3日ほど前から行われているという結婚式に関わる家族や親族での儀式など、いろいろと聴かせていただき改めて今の日本の現状を憂うこととなりました。
世界中には7000~8000ともいわれる数多くの宗教がありますが、何であれ宗教が与える人への影響は計り知れないと感じます。どちらかといえばカルト的洗脳やテロなど、悪い影響はよく取り沙汰されますが、人として生きる指針や、そのための心のあり方を教え伝える良い影響はなかなかニュースにはなりません。
ジャカルタで行われた結婚式の前日には、新郎新婦がそれぞれの実家において両親に感謝の気持ちを表すために両親の足を洗う儀式が執り行われるそうです。そうやって感謝の気持ちを表すのだといいます。そして、花嫁は親族の中の最高齢の女性から、「結婚」ということについていろいろと教わるのだそうです。
日本ほど宗教に寛容な国はないといわれます。ほとんどの場合、冠婚葬祭を含め地域の文化習慣としての意味合いが濃く、「個」の文化が進行する日本においてはするもしないも自由と、だんだんとフリースタイル化してしまいました。これは、若い世代の変化だけではありません。超高齢社会の今、子供や孫に負担をかけられないという理由から、普段の生活も距離を置き、墓じまいをしたり親戚付き合いも簡素化したりと、親から子に大切なことが伝えられない社会となって来たように感じます。
今月13日は母の日です。お母さんのいない人はいません。お元気な方もいればすでに彼の国に旅立った方もいるでしょう。自分を生み、育ててくれたことに感謝し、そのお母さんが喜ぶ顔が見たい! それが自分の幸せと感じられる瞬間です。私の母は5年前に亡くなりました。母の日には毎年カーネーションではなく、母の好きだったトルコ桔梗を飾ります。それがお花でも、食べ物でも何でも、親の好きなものを知っているということが、幸せに思えるのです。好きなものだけではなく、「これをしたら怒られるよね」という教えも同じです。
子供が生まれたときの宮詣りや、元気に育ったことに感謝し奉告御加護祈請する七五三。立志式や成人式。結婚式や初めて親になったとき。家族や親族が集まり同じときを生きていることを実感したり、喜び合ったりすること。とても必要なことではないでしょうか。長寿社会の日本です。還暦(60)・古希(70)・喜寿(77)・傘寿(80)・米寿(88)・卒寿(90)・白寿(99)・紀寿(100)・茶寿(108)・皇寿(111)と、素敵な集まりのチャンスはたくさんあります。たとえ家族が集まれなくても、共に過ごす仲間がいることは幸せなことです。
少林寺拳法は、そんな人として生きる上で大切な節目に、生命の大切さや自分の可能性を信じること、その可能性を育てるために必要な仲間づくりを通し、生きる力を次世代に繋げて行きたいと思います。