vol.59 人間尊重を自覚させ生み出す信念=信仰

2018/07/01

 「信仰なんて言葉を聞いたとたん毛嫌いする人がいるが、人間としての自己の正しいあり方、尊厳を自覚する唯一の道は信仰であり、それは人間尊重を自覚させ生み出す信念でもある。」
 この開祖の言葉。書き換えると、
 「人間がより良く生き、それぞれの人生を全うするには、何より先ずは、人間尊重の自覚が必要であり、自らの尊厳を自覚する事である。そして、それを信念とする事が、金剛禅のいう(ダーマ)信仰である。」
 となり私はしっくりくる。
 なぜしっくりくるのか。信仰という言葉のイメージにとまどいがあるからかもしれない。信仰心があるかと聞かれると、その言葉の持つイメージにとまどう気持ちが自分の中にある。
 しかし、開祖の言葉に何の違和感も無く共感する自分もいる。なんてことをいうのかとおしかりを受けそうであるが、一般的にいう信仰心や信仰と、我々金剛禅門信徒の信仰心や信仰とは、似て非なるものがあると私は感じている。なぜなら、明確に言える事は、入門時にダーマ信仰を求めて入門したわけではなく、それを最初に求められていたら入門を躊躇したかもしれないからである。(私の人生の損失となった。)
 しかし、入門後、開祖の教えに傾倒した。入門時、十七歳の私にとって求めていた教えがそこにあった。心を打たれた。
 その中で特筆すべきは、学科が明確にあり、昇級時にそれを履修しなければ昇級できない事である。そうなると必然的に読本を読む。開祖の教えにも触れる事ができる。これは重要な事といえる。
 夏になると、師(道院長)が学科や法話をする。足はしびれ、苦痛であったが、開祖存命中であり、帰山時に話された事をいきいきとした眼差しと、活力のある言葉で聞く事ができた。
 これらの事から、師が教えに傾倒している事を十二分に感じた。そして、この体験より、私の人生に冒頭の信念や自覚が芽生え確信となった。
 ただ、師は信仰という言葉で私に示した事は無く、師自身が行を重ね、毎月の帰山を通して開祖に傾倒し、その中で信念が確立され、それが生き甲斐となり、我々にいきいきとした姿で教示されていた。
 私はこの姿に感化され、魅力を感じ、自らもそうなりたいと考えるようになった。
 人を人づくりの道に傾倒させる。
 これは、信念と行動が一致しているからであると私は考えている。また、ここには信念に裏付けられた確信が感じられる。
 目指した事の原点はここではないのだろうかと思う。そして、生涯継続する事も重要となる。
 信仰という言葉に違和感があるのは、この国の宗教に対する環境にもよるが、信仰が目的で入門したのではなくとも、人づくりによる国づくり、自らを大切に考え、半ばは他人(ひと)の幸せをも考え、生きようとする姿に心を打たれ、その道に邁進しようと考えた事は紛れもない事実である。
 これがダーマ信仰というなら、ストンと腑に落ちる。
 「人間としての自己の正しいあり方、尊厳を自覚する唯一の道は信仰である。」
(文/松本 好史)