vol.60 自燈明(じとうみょう)、法燈明(ほうとうみょう)

2018/09/01

 もうかなり昔、夏の恒例行事であった指導者講習会に参加した。
 多度津町の民宿はどこも若い拳士でいっぱいだった。
 夕食を済ませ、再び本山へ登り本堂に集合すると、道場の中央に1本だけ灯(とも)されたローソクを起点に、隣の人から人へと灯(ともしび)をリレーしていった。
 電気を消して先ほどまで暗かった本堂に、灯の明るさが増す中、鈴木義孝元金剛禅総本山少林寺代表(現 SHORINJI KEMPO UNITY 顧問)から「この灯は宗道臣管長(開祖の当時の呼称)が灯してこんなに大勢の人たちに伝わり広がった。この灯は人から人へと受け継がれていき、少林寺拳法が世の中を明るく照らす灯になる」と話された後、全員で教典を唱和し、聖句「己れこそ己れの寄るべ、己れを措きて誰に寄るべぞ、良く整えし己れこそ、まこと得がたき寄るべなり」の声が厳粛な雰囲気の中で響きわたったあの感動は、今も忘れられない。
 『ブッダ最後の旅』(中村元訳 岩波文庫)には、ブッダ(釈尊)が最後の説法の旅に出てその途上での出来事の中で、弟子たちや信者たちに遺戒となったブッダの死とその前後のことが詳しく語られている。
 ブッダは旅の途中で雨期の定住に入られたとき、恐ろしい病が生じ、死ぬほどの激痛が起こるが、苦痛を耐え忍んだ。そばにいた愛弟子のアーナンダが「尊師が修行僧たちに何ごとか教えを述べられない間はニルバーナ(涅槃)に入られることは無いであろう」とブッダに告げると、「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか? わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。完(まった)き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握(にぎり)拳(こぶし)は、存在しない。『わたくしは修行僧の仲間を導くであろう』とか、あるいは『修行僧の仲間はわたくしに頼っている』このように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何事かを語るであろう。」
 「それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」
 「アーナンダよ。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない、『教えを説かれた師はましまさぬ、もはやわれらの師はおられないのだ』と。しかしそのようにみなしてはならない。お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるのである。」
 「さあ、修行者たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させなさい』と。」これが修行を続けて来た者の最後のことばであった。
 教えを説かれた開祖は、もはや私たちの前にはおられない。開祖から受けた教えにたより、自己にたより、他者へ教えの灯を照らすことが、教典の最初に自己確立の教えを持ってこられた開祖の願いでもあったはずである。
 わたしたちは、開祖の教えの光を受けて信念を確立し、金剛禅へ帰依し、自分の人生をたくましい生き方へと変えることが出来た。
 開祖の「自分は可能性の種子、努力次第で開花結実させることができる。自分で自分をあきらめるな」と力強く語られた言葉を聞いたとき、身震いするほどの感動を覚えた。
 開祖から受けた教えを拠り所とし、その教えを今度は自らが光となり、他者へ受け渡していく役割がある。
 自己を燈(ともし)火(び)とし、教えを燈火としているのかどうかが問われている気がしている。
 (文/飯塚 久雄)