vol.63 男性、女性、それぞれの個性が生かせる社会へ
2019/04/01
ことしの東京の桜は、全国でいちばん最初に満開となりました。日本人だけではなく、各国からの旅行者も日本独自の文化である“花見”を楽しんでいるようです。
日本独自の文化にはいろいろなものがありますが、後発の“いつの間にか文化”にもおもしろいものがあります。
新卒の社会人一年生が、パリッと真新しいスーツに身を包んでいる姿は気持ちのいいものですが、日本社会の風潮なのか、それとも着回しに便利なのか、就活時代からダークスーツが主流です。ただ、最近気になるのは、女性まで濃紺かブラックスーツばかりで、日本全国統一のリクルートスーツかと思ってしまうほどです。女性まで男性に合わせる必要はないのに……と思ってしまいます。しかしこれは、近代の女性の好みなのではなく、男性に合わせる社会の暗黙のルールだと思うのです。むしろ、航空会社のように制服のほうが、女性らしさが出て自然だと思うのは、私だけでしょうか。
3月8日は「国際婦人デー」として定められています。
1904年に、アメリカ・ニューヨークにおいて、女性労働者が婦人参政権を求めてデモを起こし、これを受け、1910年にコペンハーゲンで行われた国際社会主義者会議で、ドイツ人クララ・ツェトキンが記念日とするよう提唱したことが起源とされています。
この記念日は、日本ではあまりなじみのないものですが、最近では「男女共同参画社会基本法」という法律まで制定され、遅まきながら日本においても、女性の活躍する場の創出に少し踏み出した感があります。しかしながら、風土というか、基本的な考え方はまだまだ男性優位社会です。
そういう私も、約40年間、99%男性社会である組織のトップとして過ごしてきました。今思えば、ハラスメント的なこともなかったわけではありませんが、それを苦痛と感じてこなかった理由があるように思います。
それは、明治生まれの父親に育てられ、男性と女性の違いについて、事あるごとに講義を受けていた(笑)ことの影響があるように思うからです。
人としての権利(人権)は同じでも、持って生まれた個性は違います。陰陽思想にある、それぞれ対極的に異質なものを持って生まれ、対立ではなくうまく組み合わさっていくことによって昇華するという考え方です。
「男に負けたくない」「女だからといってばかにされたくない」と思ったことは一度もありませんし、逆に「男として生まれたかった」とも思ったこともありません。男性、女性共に、それぞれの個性が生かせる社会が、本当に成熟した社会だといえるのではないでしょうか。
先日、車のタイヤを冬タイヤからノーマルに替えようとディーラーに行ったとき、待ち時間の間にいつも出してくれる選べるドリンクサービスで、50歳くらいの男性エンジニアが、「きょうは女性スタッフが少なくて、こんなむさ苦しいオヤジですみません」と、苦笑いしながらメニューとおしぼりを持ってきてくれました。そこで思い出したのです。
私が新入職員として仕事を始めたとき、午前10時くらいになると、同室の方々の好みを覚えてお茶やコーヒーを入れ、それぞれのデスクに配ったものでした。事務局長は甘いコーヒーが好みだから、お砂糖はスプーン4杯! と、いささか心配しながらも甘いコーヒーを私が持って行くと、事務局長は一口飲んで、「ん、おいしい!」と、何ともいえない笑顔を返してもらい、それがうれしくて、今度は豆にこだわってもっと喜んでもらえたら……などと考えたものです。
別にゴマをすっているわけではなく、事務局長の笑顔でその部屋の雰囲気も明るくなるし、何より喜んでもらえることがうれしかっただけなのです。
少林寺拳法創始者・宗道臣に、こんなふうに言われたことがありました。
「『何で、私ばっかりお茶くみさせられるんですか!』と口をとがらせて文句をいう者がいるが、なぜ“させられる”と考えるのか。『疲れて、そろそろ一息入れたいのではないかな。私がおいしいお茶を入れてあげよう』と思ってみろ。気分もいいし、それで喜んでもらえたらうれしいだろう」と。
たとえ女性であっても、仏頂面してお茶を出されたら、それもまたうれしくもおいしくもないでしょう。
やはり、自分の意思ではなく、従わざるをえないからした行為と、相手のことを思いやり、みずからした行為では、その生み出す成果は雲泥の差です。ポジティブな思考は、思わぬ効果を発揮するということでしょう。
少林寺拳法の世界でも、かつて女性拳士が少なかった時代にできたルールを、最近少し変更しているものもあります。これは差別ではなく、身体にとって大切な区別だと、私たちは考えています。
女性の社会進出とともに求められる、「同じことができて当たり前」という男性・女性の個性を劣化させる風土、とても気になります。