vol.66 危機感を覚える最近の日本の動き

2019/11/01

 10月初め、建国70周年を迎えた中国の国慶節に招かれ、北京を訪問しました。人民大会堂で行われた習近平国家主席主催のレセプションに始まり、翌日には天安門を中心に長安街で大規模な祝賀パレードが行われました。

 30万人なのか50万人なのか‥‥もう正確な数字が分からないほどの大勢の人たちで埋め尽くされた天安門広場は、昼のパレードと夜のイベント共にとても賑やかなものでした。

 私が初めて中国を訪問したのは1975年ですから、もう44年も前。中国のその間の変化は大変なものですが、2001年、WTO加盟後の変化は、中国国民にとってもそれはそれは想像を絶するものでしょう。今回の建国70周年のイベントは、それらを象徴する大がかりなもので、長時間にわたって夜空を彩ったフィナーレの花火は、これまで見たこともない圧倒されるハイセンスなものでした。

 しかし、帰国する機内で見た、今回の建国70周年に対する日本メディアの報道には驚きました。まるで北朝鮮かと思うような軍事パレード一色で、若い兵士たちが、閲兵する習近平国家主席に対し、目をキラキラさせて敬礼する様子だけでした。ますます軍事大国化が進む中国を印象付けるもので、「日本の防衛費をもっと増やさなければ!」という影の声が聞こえてくるようでした。

 確かに、日本のブルーインパルスのような色とりどりのスモークが空を走り、新型ミサイルも登場しましたが、それはパレード全体の10%もありませんでした。帰国後、何人もの友人に、スマートフォンで撮った写真や動画を見せたら、一堂が同じように驚くのです。「ニュースとまったく違う」と。

 私が怖いと思うのは、中国だけが軍事力を強化し自由のない国民監視社会だという報道を鵜吞みにし、中国に対し嫌悪感を持つ日本人が多いことです。確かに、中国の軍事力増強も事実ですし、街中あちこちに監視カメラも設置されています。しかし、日本も同じではないでしょうか。少子高齢社会で国家財政難であるにもかかわらず、イージス・アショアの再配備に再発注。おまけに防衛装備(武器)の輸出入も公に始めました。監視社会に関しても、監視カメラというか防犯カメラというかの違いだけです。そうでなければ、昨年の渋谷でのハロウィン騒ぎで、通行中の車を取り囲み、屋根に乗って飛び跳ね、あげくにひっくり返した事件の犯人が、あんなに早く逮捕されることはないはずです。

 消費増税にあたってのポイント還元を理由に、一気にキャッシュレス化が進み、マイナンバー制度とともに、口座から何から何まで、気がついたらすべてのものが紐付いていく。そして、東アジアの緊張感を煽られるたびに、何の抵抗もなく「仕方ないですよね」と軍事大国化を日常の感覚で肯定する。そんな日本社会に対しての違和感を口にすることを、周りの反応を気にして躊躇したり封印する。自由な日本というのは、もしかすると思い込みなのかもしれません。

 少林寺拳法は、創始者・宗道臣が戦後まもなく、当時荒廃した日本の将来を憂い、自信と勇気と行動力を養う方法として、なおかつ戦前・戦中・戦後の経験を基に、今でいう自国ファースト・自分ファーストではなく、慈悲心を養い「半ばは自己の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」という教えを身につける方法として、二人が組んで修練する「組手主体」が基本の教育システムを有しています。

 自信とは、自己肯定感を養う環境と仲間によって身につくものです。そして、よいことはよい、おかしいことはおかしいと、周囲に流されず、はっきり意思表示できる勇気と行動力を身につけることで、社会の福祉や平和に貢献できる人を育てることが少林寺拳法の目的です。

 だからこそ、最近の日本の逆行する動きに危機感を持っています。