vol.68 玖珠道院 道院長 穴井俊一

2020/01/14

玖珠道院 道院長 穴井俊一

道院名:玖珠道院
道院長名:穴井 俊一(アナイ   シュンイチ)
大拳士六段 中導師 393期
1965年6月29日生まれ 54歳
出身地:大分県

1979年 少林寺拳法に初めて体験する
1981年 玖珠道院入門
地元県立高校で生徒会長となり、少林寺拳法同好会を設立。(のちの大分県立玖珠美山高校少林寺拳法部)
1984年 大学浪人時代に受験し、国家公務員初級に合格。
1995年 陸上自衛隊玖珠駐屯地空手部顧問になり隊員たちに少林寺拳法を3年間指導する。
2000年 玖珠道院2代目道院長に就任。
2008年 北山田郵便局13代局長に就任。

中学2年生の頃、すでに黒帯を持っていた友人に勧められ入門。
地元県立高校時代、生徒会長になり友人たちと少林寺拳法同好会を設立。(のちの大分県立玖珠美山高校少林寺拳法部)
大学受験に失敗。浪人中に受験した、国家公務員初級に合格。郵便局を選択、就職をする。
30歳陸上自衛隊玖珠駐屯地空手部顧問になり隊員たちに少林寺拳法を指導、3年で終了。
35歳の時に前道院長より交代を頼まれ、玖珠道院2代道院長に就任。
その後、地元の郵便局を転勤を繰り返し43歳にて北山田郵便局13代局長を拝命する。

玖珠道院 道院長 穴井俊一

「縁」があった方に、幸せになってもらいたい

私を信頼して、玖珠道院に入門した門信徒。新規採用や転勤にて北山田郵便局で働くことになった局員。そのどちらの人達にも幸せになってもらいたい。その為に、道院活動の中で、仕事の中で金剛禅の教え(自己啓発)に自然に触れ、学べる仕組みをつくることを私は常に考えています。

具体的な例として郵便局では、朝のミーティング時間を使い金剛禅の教えと自己啓発をミックスした話をさせてもらい、全員で「北山田郵便局社員信条」を唱えています。また、3年前からは、配達区内のこども園にて、月2回、1回約30分間、少林寺拳法の体験教室を開いています。特にこだわっているのは、聖句。5歳児20人は、「おのれこそ、おのれのよるべ 、、、」と、大きな声で唱和し座禅をしています。いつの日か、この「聖句」を思い出してもらいたい。結果、幸せになってもらいたい。そう思って、こども園にて指導をしています。

多くの指導者にお世話になった、自慢の子供たち

「人様の子供を預かり指導するなら、先ずは身内を」との思いから、私の2人の子供には、物心がつく頃には道衣を着させ、道場で練習をさせていました。長女と次女、思春期もなんとか乗り切り、大学少林寺拳法部へ入部。長女は、北九州大学で素晴らしい指導者と福岡県教区の方々の応援もあり、夢であった大分県警の女性警察官になりました。次女は、熊本大学の少林寺拳法部主将を務めた後、現在は福岡市内で高校の教員をしています。私が道院長を務めているため娘たちは、福岡、熊本両県の指導者の皆さんにとても良くしてもらい、感謝の気持ちと、少林寺拳法グループの組織には開祖が目指された、仲間を大切にする互助(青幇)の考え方が息づいていると感じました。

無理なことなどない、停滞期があるだけ、そこに留まってはいけない

私は、地元高校のPTA会長として、大分県教育委員会を何度も訪ね折衝をし、大分県初の県立高校少林寺拳法部を創部しました。最初は、交渉が進まず「当身の5要素」を活用することを思い出し「地元の町長が県教委に直訴する」という方法でついに設立に漕ぎつけました。

また、(一財)少林寺拳法連盟主催の全国大会を大分県少林寺拳法連盟で主管した際、多くの困難や反対意見には、何度も何度も説得し、結果大成功を収める事が出来ました。これは、経験豊かな日本武道館の有志、そして他県の同志の強い応援と、開祖の「百度転んでも百一度立ち上がる」この教えの実践が実を結んだ結果でした。私は、心に迷いが生じると、開祖が説かれた「行動する少林寺」この言葉を口ずさみ、常に行動に移しています。

行動することについては、職場においても同じです。大分県で1局のみの新形態、統合局(配達、渉外、窓口)として先陣を切って運営しています。どんな時も金剛禅の教えを実践するのみであると考えています。

人間は2度死ぬ。肉体の死と、精神(他人の記憶)の死

最近読んだ本に、「肉体の死の後、現生に残った人々の記憶に残る生き方がある」。記憶に残った人が亡くなった時が2度目の死だそうです。私の記憶がこの世に少しでも生き続けられるように、関わった門信徒(拳士)をもう少し増やしたいと思います。35歳で玖珠道院2代道院長になりました。私の師は、東京の祖師谷道院 故 内山先生の下で修行した方です。そして、私の兄弟子は、日本武道館武道学園支部長。弟弟子は、現大分県連理事長。このような中、拳歴40年を迎えます。金剛禅の教えを広げるために、そして、この世に生きた証を残すために、今後も「新たなこと」に取り組んでみようと考える毎日です。