vol.49 先人の経験と知恵を伝える「終活」を

2017/02/01

最近、終活という言葉をよく耳にします。親の介護や、看取(みと)ったあとの家の整理が大変だということで、家族に代わって片づけを専門に請け負ってくれる業者が増えています。
ゆっくり思い出に浸っている余裕のない日常の中で、仕方のない面と、その人の生きた証に触れないまま処分されてしまう寂しさとが混ざり合い、複雑な思いです。私自身も、母を看取ったあと、その遺品整理や部屋の片づけが、3年たってもまだ終結していないというありさまです。
「人の生きた証」とは、生活に関わる物だけを指すのではなく、親から子へ、子から孫へとどんどん伝えられていくものです。形あるものはいずれ朽ちますが、人から人へ伝えられる“思い”や“願い”は育っていくものだと思うのです。

「人間は、生まれるときも一人だし、死ぬときも一人だ」と言う人がいますが、私はそうは思いません。生まれるときも死ぬときも、誰かの手を借ります。
もっといえば、生まれてから人生を終えるそのときまで、多くの人たちとの関わりの中で自分を養っていきます。
その人が、どんな人間関係の中で人生を送り、どんな役割を果たしてきたのか、それがなかなか伝えられない現代の社会生活では、人の人生も物と同じように朽ちてしまうのか……と寂しくなります。先人の知恵とよくいいますが、さまざまな経験を伝えることで、人類は進化し、文明も高度化したはずです。

しかし、物質的な豊かさや便利さが、エゴを生み、孤立社会をつくり上げ、今世界を見れば、「人」として生きることの進化が止まり、世界は退化し始めました。
アメリカではトランプ新大統領の就任によって、極右勢力の台頭がいわれています。具体的なI.Q問題まで持ち出し白人至上主義を唱える極右勢力(オルトライト)と大統領との関係が問題となっています。オバマ大統領の就任時、黒人初の大統領として21世紀のアメリカを感じたことを思い出します。この大きな振り子現象を見ると、アメリカのように社会的地位のある影響力ある人たちが先頭に立ち、声を上げる社会は、次世代にも自立と共存を伝えることができますが、「なるべく触れないほうが無難」「本音は言わない」という日本の社会風土は、日本の劣化を早めます。

先人の経験と知恵を伝える、そのことにこだわった終活を心がけたいと思います。