vol.43本当の幸せーできることから

2016/06/01

戦後71年たった今年5月、現職アメリカ合衆国大統領のオバマ氏が広島を訪れたことは、歴史的に大きな意味を持つ出来事でしょう。

“謝罪”については日米両国でさまざまな議論がありましたが、オバマ大統領が広島を訪れ献花したその日、被爆者代表が「謝罪を求めているのではなく、“未来志向”で考えるべき。二度と戦争をしないでほしい」と語った言葉の意味を、私たちは重く受け止めなければなりません。

そして、平和記念公園で行われたオバマ大統領のスピーチは、国家・政治・経済さまざまに関わる人間のエゴが何を生み出し残すのか、心に痛く感じるものでした。

少林寺拳法の創始者・宗道臣も、かつての戦争の体験者でした。宗道臣の遺した、少林寺拳法創始の目的となった考え方を紹介します。

一一「敵地における敗戦国民の惨めさと悲哀を十二分に体験した。イデオロギーや宗教や道徳よりも、国家や民族の利害のほうが優先し、力だけが正義であるかのような、厳しい国際政治の現実を、身をもって経験した。そして、その中から知りえた貴重な経験は、法律も軍事も政治のあり方も、イデオロギーや宗教の違いや国の方針だけでなく、その立場に立つ人の人格や考え方の如何によって大変な差の出ることを発見したことである。満州(中国東北地方)で政権を握っていたころの日本人の場合も同様であったことを改めて思い浮かべて、私の人生観は大きく変わり、今後の生き方に一つの目標を見いだしたのである。『人、人、人、すべては人の質にある』一一すべてのものが、『人』によって行われるとすれば、真の平和の達成は、慈悲心と勇気と正義感の強い人間を一人でも多くつくる以外にはないと気づき、志のある青少年を集め、道を説き、勇気と自信と行動力を養わせて祖国復興に役立つ人間を育成しようと決心するに至ったのである」(「少林寺拳法教範」より抜粋)

この考え方の下に、拳技を手段とした人づくりを始めたのです。

戦後間もない1947(昭和22)年に創始されてから40年間は、その目的も方法も、とても有効なものでした。

しかし、日本の急速な高度経済成長とともに、社会は激変し、個々人の日常生活も一変してしまいました。何より、競争社会の中で、人間関係は根底からひっくり返り、「人としてどう生きるか」や「共助」という日本の誇るべき大切な教育が追いつかないまま、70年たってしまいました。

今、日本が抱えている深刻な課題、それはすべてが家庭や社会の人間関係に起因していると感じてならないのです。

今回のオバマ大統領のスピーチの中で、私の心にいちばん強烈なインパクトとして残ったのは、「……だから、私たちは広島に来たのです。そして、私たちが愛している人のことを考えます。例えば、朝起きてすぐの子供たちの笑顔、愛する人 (夫や妻)とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い。そして、親からの優しい抱擁。そういったすばらしい瞬間が、71年前にこの広島にもあったのだということを考えることができます」というところでした。

戦争、そしてその結果として落とされた原子爆弾によって、そんな幸せな日常が一変したということを言われたわけですが、戦後から71年たって豊かに復興した日本に、その「幸せ」は戻ってきたのでしょうか。朝起きてすぐの子供たちが笑顔になるような家庭が、どれだけあるだろうか。朝食のテーブルに、夫婦や子供たちが笑顔になる雰囲気や、家族の笑顔を見るゆとりがあるだろうか。

子供たちをどれだけ抱きしめているだろうか。そんな家族の存在に、感謝の言葉をどれだけ伝えられているだろうか。そう考えると、基本となる先祖からつながる生命の働きや、「慈しむ」という、人として決してなくしてはならないことが、家庭や地域においても伝え育てることができず、学校教育においても、“宗教的”なものを排除するためか、その大切なことを「倫理」や「道徳」として教えられると勘違いしてきた結果のように思えてなりません。

倫理や道徳というものは、ベースとなるものがあってこそ心に入ってくるものだと思います。ここで私の言いたい“宗教”とは、宗派や偶像崇拝の対象物の問題ではありません。宇宙の真理として存在する生命と、その住みかとして両親から授かった身体に感謝して、人としてどう生きるか、自分をどう生かすかを考える宗教教育です。

ある老人ホームでは、入所後、家族は誰一人として面会に来ず、そろそろ終末期の相談をしたいと施設から連絡をしても、全く相談にも応じず、費用だけ振り込まれたり、中には全く連絡のつかない場合もあり、施設の関係者の方だけでお見送りをすることも少なくないという現状があるようです。困った葬儀社が連絡をすると、「何度も何度も電話するな! 金払っているんだから、やれよ!」とどなり散らす家族もあるそうです。そういえば、電車の車内遺失物に遺骨が珍しくないとか、檀家でもないお寺に宅配便で遺骨を送りつけるとかいう話を昨今よく耳にするのも、ふだんの家族関係や人生において、人や動物の生死に関わることの意味を知らずに大人になってしまった結果が、「幸せ」の意味を履き違えてしまった、現在の日本ではないでしょうか。

今年4月来日した、世界で最も貧しい大統領といわれるウルグアイの前大統領ムヒカ氏に、「日本人は本当に幸せだと思いますか?」と尋ねたら、「若者が夢を持っていない。最先端の社会であっても、多くの人々が孤独という問題を抱え、たくさんの高齢者が孤独だ」と、本当の幸せとは何か! と問う感想を述べました。この深刻な問題に、少林寺拳法はもう一度、できることから取り組んでいきたいと思います。