待つわ

2018/12/25

東京健康リハビリテーション総合研究所 所長     武藤芳照の視点   ~   「待つわ」

 「待てど暮らせど来ぬ人を……」の「宵待草」(竹久夢二作詞)、「待ちぼうけ」(北原白秋作詞)などの日本の愛唱歌・童謡や、「俺は待ってるぜ」(歌:石原裕次郎)、「待つわ」(歌:あみん)などの歌謡曲には、人が誰かや何かを待つという状況が数多く描かれ、それらが永く愛されて伝えられています。それだけ「待つ」ことは、人間の日常的でごく自然な行為、営みなのでしょう。

 教育・保育や指導・訓練の場面でも、実は「待つ」ことが大切なのです。対象は幼い子ども、学校の児童、生徒、学生ら、一般市民や中高年者、障害児・者、スポーツ・武道の教室、クラブ、塾、道場、道院の生徒などと様々ですが、人が人を教え育むという教育の基本は同じなのです。

 教育の原点は、一人ひとりが有する資質・才能・能力・感性・意欲・志・士気を引き出して養い育てることです。少林寺拳法の道院などでの指導・教育、訓練の場面で教える側に求められるものは、教育の基本と共通であり、待つことと言っても過言ではありません。

 指導・教育した後、一人ひとりの生徒がその内容を頭で整理し、からだの動きに正確に表現するのには、ある程度の時間が必要です。その間、指導者は「待つ」ことになります。そが待てないで「何でできないの!?」と児童・生徒・学生を責め立てる教師・コーチ・指導者らが少なくありません。

 もう少しばかり待っていれば着実に理解し、からだで具現化できるところであったものが、その一言ですべてが水泡に帰したという事例は枚挙にいとまがありません。

 「ミネルヴァのふくろうは たそがれがかってくるとはじめて飛びはじめる」(ヘーゲル『法の哲学』序文より)と記されています。アテネの知恵と技芸の女神ミネルヴァ、知恵の象徴のふくろうを素材として、待つことにより良いものが生まれることを表わしています。「待つ」には忍耐を必要としますが、言いかえれば、良い教育者・指導者は忍耐の達人なのかもしれません。

 「私、待つわ」

 

執筆者:武藤芳照 東京健康リハビリテーション総合研究所 所長 、東京大学名誉教授。1950(昭和25)年、愛知県生まれ。75年、名古屋大学医学部卒業。80年、名古屋大学大学院医学研究科修了。93(平成5)年、東京大学教授。95年、東京大学大学院教授。2009年、同大学教育学研究科長・教育学部長。11年、東京大学理事・副学長ならびに政策ビジョン研究センター教授。ロサンゼルス、ソウル、バルセロナ五輪の水泳チームドクター。日本転倒予防学会理事長。スポーツ・コンプライアンス教育振興機構代表理事。

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