第2回 生きるためにはこれしかなかった

2019/09/02

脳梗塞から奇跡的に回復し、現在㈱One to One福祉教育学院 代表取締役として、埼玉医科大学客員教授として、活躍し続けている、「少林寺拳法で介護ができる」介護技術の生みの親、根津良幸氏の介護技術誕生秘話(続編)です。
生きるための術(すべ)を公開するに至った岐路、
・・・それはある夫婦との出会いでした。

生きるためにはこれしかなかった

妻が私の介護をするためには、いかに腰に負担をかけずに、チカラを入れずに介護できるか、これしかありませんでした。妻の腰に負担がかかれば、私も赤ん坊も生きていくことすら、できないのです。私たち家族にとっては地獄の日々でした。

「もう一度生まれたばかりの赤ん坊をこの手で抱いてやりたい」
「夫としていかに妻に負担をかけずに日々の生活を送るか」

 その一心で編み出したのが、『少林寺拳法で介護ができる』介護技術の原型となる「片腕一本でできるまったく腰に負担のかからない介護技術」でした。まさに私たち家族にとって、生きていくための術(すべ)だったのです。
 こうして、介護を受けながら脳梗塞後遺症のリハビリを続け、ようやく自力で生活動作ができるようになるまで、数年かかりました。

口にするのも嫌だった

 この介護技術について十数年間、私自身も、家族の者も口にすらしませんでした。なぜなら、私たち家族にとっては、まさに生きる死ぬの思いで日々生活し、地獄のリハビリをしてきた中で編み出したものであり、世間に公開するような気には到底なれなかったからでした。この期間のことを口にするのも嫌でした。
 私自身が建てた特別養護老人ホームの介護現場でも、その当時、パワー介護(チカラ任せの介護)が行われていましたが、私たち家族が編み出した介護技術を現場に導入しようとすることも、教えようとすることもしませんでした。あの脳梗塞で倒れてからの数年間の生活は、忘れたい過去であり、二度と口にすることすらしたくなかったので、介護現場の職員や管理者ですら、この介護技術については全く知りませんでした。

介護に悩む老夫婦との出会い

ところが数年前、行政機関より「楽にできる介護の講習をして欲しい」との依頼がありました。私自身は丁重にお断りするつもりでしたが、担当者の熱心な希望でもあり、仕方なく引き受けることにしました。
 講義当日、私が講義会場に入ると、受講生の一人である高齢の女性から「先生、今日この講座を受講すると主人を介護することができるようになるのでしょうか。今日はをもつかむ気持ちで参りました。」と声をかけられました。その女性の傍らには、車いすに座られたかなり体格のよい高齢の男性がいました。その女性から「うちの主人です。」と紹介され、「主人は身長が180㎝以上あり体格もよいため、私が介護するのは、もう限界なんです。主人の介護をできる日とできない日があります。できない日は自分の身体も腰痛でままなりません。こんな私でも楽に介護ができるようになって、帰れるのでしょうか。」と言われたのです。
 その時、私はこの老夫婦を助けたいと思いました。
 そして、この老夫婦との出会いが、私に一大決心をさせたのでした。 
つづく

根津良幸氏プロフィール
1996年に社会福祉法人を設立。特別養護老人ホーム統括施設長、デイサービスセンター長、グループホーム統括施設長に就任する。
また、介護認定審査会委員、老人福祉施設連絡協議会会長、高齢者虐待防止委員会委員を歴任。現在、株式会社 One to One 福祉教育学院 代表取締役として活動しながら埼玉医科大学の客員教授として講義・指導を行う。
そして、自身が脳梗塞に倒れ、2年間で要介護5〜要支援1の7段階を体験し、介護・リハビリ生活を送った中から自分たち家族が生きるための術(すべ) として家族のために編み出した「片腕一本でできるまったく腰に負担のかからない介護テクニック」を腰痛で悩む介護現場職員や介護を必要とする家族のためにこの術を公開し始め、年間 5,000名を超える日本一受けたい講座の講師として活躍中である。
また、埼玉医科大学において1・2年生の必修科目として「【地域・介護医療】地域医療と介護の連携」、「【ラポール形成】患者・家族・医師との信頼関係」や3年生の必須科目「行動科学と医療倫理」の講義や埼玉医科大学国際医療センターにて新任ドクターに対してコミュニケーションの講義・指導を行っている。