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人間・宗道臣

2015/03/25

Vol.15 何かあってからでは遅いのだ

Vol.15 何かあってからでは遅いのだ

宗道臣が管長だった当時、少林寺拳法本部の倉庫には、米軍の払い下げ品が詰まっていました。ヘルメット、作業服、幅広ベルト、安全靴、それにスコップやつ るはし、各種工具類、非常用防災用品です。私たち男子職員・山門衆(住み込み門人)も、ふだんの作務に使っていましたが、10人足らずの男手にはあり余る 数量が積…
人間・宗道臣

2015/03/05

Vol.14 これがうち流の“地鎮祭”

Vol.14 これがうち流の“地鎮祭”

創始から68年がたち、少林寺拳法発祥の故地に立つ一群の建物(宗道臣の旧居と旧道場その他)が、老朽化などの事情で、移築または再建することになりました。まずは一帯を更地にしたうえで、記念館や本部道院その他幾つかの少林寺拳法の記念史的建物を復元しようというのです。近々工事にかかるのですが、着工前の施工業者…
人間・宗道臣

2015/02/10

Vol.13 酒の席でしかホンネを言えない奴は……

Vol.13 酒の席でしかホンネを言えない奴は……

宗道臣は、酒を嗜(たしな)まない人でした。しかし、弟子が飲むことまで禁止したわけではありません。管長(当時)・宗道臣主催の役員忘年会もあれば、本山・本部職員の花見も毎年の恒例でした。 元日には、近隣の道院長が幹部を伴って管長公館へ年始の挨拶に来るのも恒例でしたが、その際には、宗道臣夫人手作りの手羽先…
人間・宗道臣

2014/01/10

Vol.12 しょうもない人物を連れてくるな!

Vol.12 しょうもない人物を連れてくるな!

それは、1972(昭和47)年の暮近くでした。来客はある道院の後援者という初老の男性で、型どおりの時候の挨拶が終わると、いきなり、その後援者が、「先生、先生のお書きになった『教範』、すごいです。本当にすごいです」というのです。少林寺拳法の関係者が「教範」という場合、宗道臣の著「少林寺拳法教範」を指し…
人間・宗道臣

2013/12/10

Vol.11 せいぜい2票だな

Vol.11 せいぜい2票だな

「何をしに見えたのですかな」。型どおりの初対面の挨拶を交わした後、宗道臣はいきなり切り出しました。来客は、当時少壮実業家として売り出し中で、近く国政レベルの選挙に立候補すると噂される人。場所は、管長公館応接室。時は、1973(昭和48)年初夏。ある道院長からの紹介でした。 「あ、いや、言いにくいこ…
人間・宗道臣

2013/12/10

Vol.10 キョロキョロするな!

Vol.10 キョロキョロするな!

そのときも、宗道臣のお供で神戸へ出かける途中でした。晩年、出張でも静養でも、宗道臣は夫人の運転で出かけることを好んでいました。二人で、ゆっくり夫婦の会話を楽しみながらです。少林寺拳法の総帥として、内外ともに多忙を極めていた宗道臣には、数少ない癒やしのとき、空間だったと思います。 ごくごくまれにです…
人間・宗道臣

2013/10/10

Vol.09 とっさの早技

Vol.09 とっさの早技

宗道臣の晩年、常態となった心臓発作の狭間を縫い、静養に出かけることがありました。静養といっても、せいぜい数日間。年中立て込んでいる本部行事の、わずかな隙間を見つけてのことでしたが……。行き先は山陰か神戸が多く、お供は大抵、恵美子夫人だけでした。 そのときは神戸でした。定宿は神戸大丸に程近い「オリエ…
人間・宗道臣

2013/09/10

Vol.08 日中友好に懸ける思い

Vol.08 日中友好に懸ける思い

宗道臣は、中国に対して、一貫して熱い思いを持ち続けていました。大陸に渡ることを夢見て、一度ならず家出まで決行した少年時代。時には五族協和(*)の掛け声を信じて満州(中国東北部)・モンゴルの地を駆け巡り、時にはよき師と出会い武術に汗した青年時代。その後、拡大する戦火に心を痛めながら、なお日中両民族共栄…
人間・宗道臣

2013/08/10

Vol.07 軍靴の音(戦争の足音)が聞こえる

Vol.07 軍靴の音(戦争の足音)が聞こえる

「君たち、よく考えろよ。私には、軍靴(ぐんか)の音が聞こえるんだ」。宗道臣は、3時間を超す講話を、こう締めくくりました。1973(昭和48)年夏、恒例の大学少林寺拳法部本部合宿の一こまです。この年6月に、政府が防衛庁設置法と自衛隊の沖縄配備を決める自衛隊法改正を、衆議院で強行採決したことや、自民党の…
人間・宗道臣

2013/07/10

Vol.06 全員「シューゴー」!

Vol.06 全員「シューゴー」!

宗道臣の時代、私たち金剛禅総本山少林寺の本山に勤務する拳士職員は「山門衆(さんもんしゅう)」と呼ばれていました。当時は職員寮もなく、男性職員のほとんどが、本山の正門である山門二階の二段ベッドをねぐらとしていたからです。「山門衆」は、組織の事務方としての勤務が基本ですが、学生時代に合宿や各種講習会など…
人間・宗道臣

2013/06/10

Vol.05 私と一緒にやろうじゃないか

Vol.05 私と一緒にやろうじゃないか

宗道臣は「人たらし」だったと評されることがあります。接する相手をいつの間にか懐かせてしまうというような意味でなら、全くそのとおりです。しかし、もともと「たらす(誑す)」は“言葉巧みにだます”=“たぶらかす”ことですから、宗道臣を「人たらし」と呼ぶのは当たらないと私は思っています。宗道臣には、人をたら…
人間・宗道臣

2013/05/10

Vol.04 もっと力が欲しい

Vol.04 もっと力が欲しい

宗道臣が8歳で義父を亡くしてから、一家は母の郷里に身を寄せていました。母・吉野は、昼夜を問わず懸命に働きますが、母子4人の暮らしはどん底すれすれでした。道臣少年も、妹たちの面倒を見ながら、家事万端にわたって母を助けています。しかし、働きづめに働いても楽にならない過酷な生活が、次第に母の身心を蝕み、過…