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法を問い学を修める

2012/10/01

vol.24 人生感意気、功名誰復論

vol.24 人生感意気、功名誰復論

「人生意気に感ずる、功名誰か復論ぜん」人は、相手の心意気に感動して行動するものであり、手柄や名誉など問題ではないということを示しています。出典は、「述懐」という漢詩の中のくだりの部分であり、作者は魏徴、唐国の諌議大夫(過失を諌める役職)で主君にも常に直言を辞さず清廉潔白なる人物であったといわれていま…
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2012/08/01

vol.23 士別三日、即更括目相待

vol.23 士別三日、即更括目相待

「士別れて三日、さらに活目して相待すべし」。人は、三日も出会わないと思いもよらない進歩をしていることの例えです。無論、たった三日間で人が大きく変わるなんてことは、まずありえないことなのですが、この例えは久しぶりに会った相手が信じられないくらいに進歩していることを三日という時間で表しているのです。この…
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2012/06/01

vol.22 温故知新、可以為師矣

vol.22 温故知新、可以為師矣

以前、「原点回帰」ということについて投稿させていただきましたが、同時に「温故知新」という四字熟語が頭の片隅に浮かんできました。「温故知新」は言わずと知れた孔子の言葉であり、四字熟語の代表的なものの一つです。 もう少し詳しく説明すると、この出典は「論語・為政」の中に「温故知新、可以為師矣」とあり、その…
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2012/04/01

vol.21 遥かなる釈尊(下)

vol.21 遥かなる釈尊(下)

日本は近代西欧化の中で学問や宗教もまた強い影響を受けた。従来の北方仏教に代わって現れたのが、西欧からの文献学的仏教である。特にインドの宗教言語の研究は、釈尊在世の初期仏教の探求に大いに役立った。釈尊が直接弟子たちに語った言語を想定させ、釈尊の姿が生き生きと映し出されてきたのだ。明治以前、漢訳仏典でし…
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2012/02/01

vol.20 遥かなる釈尊(中)

vol.20 遥かなる釈尊(中)

世界宗教とはいえ、仏教には複雑で曖昧な宗教儀礼が多いといわれている。そもそも仏教の教理や儀礼は、インド本国の釈尊の初めから12世紀末の衰滅までの間においても、著しく変化、複雑化していったのである。以下辿ってみる。釈尊滅後まもなく、出家の弟子たちは遍歴生活をやめ、次第に僧院に定住し、王族らの経済的援助…
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2011/12/01

vol.19 遥かなる釈尊(上)

vol.19 遥かなる釈尊(上)

釈尊の正しい教えをいかに現代に生かすかは、金剛禅の命題でもある。しかし実在の釈尊の説法のあり様がどうであったかに想いを馳せても、現代から遥かなる古代インドとの時代の差、世界環境の違いばかりが思考を阻み、どうにも届かぬ懸隔を感ずるばかりである。ところが開祖はいくつかの宗教的遍歴を経ながらも、釈尊の偉大…
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2011/10/01

vol.18 自我を修め、霊性を養い、人らしく生きるために行ずる

vol.18 自我を修め、霊性を養い、人らしく生きるために行ずる

「先生は霊魂の存在を認めますか?」と修練後の話の中で聞いた。先生は幽霊に出会ったことも、臨死に際して幽体離脱を経験したこともないので、「わからない」と答えた。「霊」や「魂」を、肉体から離れて存在する精神的実体とするならば、その問いは極楽や天国の有無を問うのと同様に、あると思う人にはあるのであろうが、…
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2011/08/01

vol.17 覚者を敬い、法により、仲間とともに在る

vol.17 覚者を敬い、法により、仲間とともに在る

「少林寺拳法で得たもの、それはよき仲間である」と先生は高校生に講話され、釈尊と阿難との会話を引用し、更に「それは修行の、人生のすべてといってよい」と続けられた。真理・法に目覚めた人を敬い、そうなりたいと目指し、覚者の説く法・教えを生きる基準とすることに努め、法を学ぶ仲間・集団を維持し育てることは宝で…
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2011/06/01

vol.16 言葉に尽くせぬことを伝えるということ

vol.16 言葉に尽くせぬことを伝えるということ

「間違った技などというものはない」という言葉が、地方の武専で指導中の先生の口から出た。拳を学ぶに際して、私たちは師の格に至ることを、第一とする。師の形に己の動きをなぞらえようと努める。開祖の人間観を感じさせる具体的で、学習・修得に共通する訓えが、まず、まねることである。これに従って、私たちは師から学…
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2011/04/01

vol.15 心を伝える

vol.15 心を伝える

内修の主行たる鎮魂行。この鎮魂行における教典唱和は我々金剛禅門信徒にとって重要なカテゴリーであるが、ある道院長は教典を新入門の子供たちとともにゆっくりと後に続く感じで唱和し、主座のはっきりとした口調を耳で聞きながらそれを腹に収め、共鳴する感じの唱和となるように口伝として教えるという。私も、その後実行…
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2011/02/01

vol.14 心外無法

vol.14 心外無法

西のノーベル賞と称される京都賞。毎年6月に受賞者の決定があり、11月に国立京都国際会館で受賞記念講演会が開催される。私の門下に思想・芸術部門の選考に関わる拳士がいた縁で2002年から毎年受賞講演を聴講させていただいているのだが、03年に思想・芸術部門で受賞された、日本を代表する古典演劇「文楽」の人形…
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2010/12/01

vol.13 自他共楽の基本

vol.13 自他共楽の基本

我々は、自らの生まれたときの記憶は遠く、死にゆくときの記憶は止まらない。知識を持ち合わせていない1、2歳の赤子は、屈託がなく曇りもなく天使のようにほほ笑む。それが、知恵が発達し欲が出ると、その永遠のほほ笑みは曇ってくるという。この世に生を受け、死にゆくまでで、人は誰でも挫折感や劣等感を抱くことがある…