ホーム > 法を問い学を修める
法を問い学を修める

2010/10/01

vol.12 雷龍王の国ブータンに習う

vol.12 雷龍王の国ブータンに習う

ヒマラヤのふもとの小国、ブータンが世界中の耳目を集めたのは、1976年、スリランカのコロンボの会議で、ブータン国王が「国民総生産量」より「国民総幸福量」を目指すと発言したことに始まる。以来、ジグミ・シング・ワンチェク第4代雷龍王は、世界第1位と2位の人口を誇る大国に挟まれた小国が生き延びるための戦略…
法を問い学を修める

2010/08/01

vol.11 改革

vol.11 改革

昭和初期、誕生まもないラジオで「法句経」を講義して大きな反響を得た友松圓諦。「漢文の意味のわからないお経ではなく、わかるお経を伝えたい。わかる仏教、生活に生かせる仏教を」と問題を提起し、仏教ブームを巻き起こした友松。開祖も『少林寺拳法教範』を編纂するにあたり、友松著の『法句経講義』と『これからの寺院…
法を問い学を修める

2010/06/01

vol.10 道院

vol.10 道院

「道院」という名称は、武道の道場と仏教の寺院とを合成した文字で、道院としたものだと、私は思っていた。『教範』をよく読んでいなかったのである。『教範』には中国の道院との違いが2ページにわたって記述されており、『50周年史』にも道院の満州総院で陳先生に小手巻返らしい技で開祖が投げ飛ばされたエピソードが紹…
法を問い学を修める

2010/04/01

vol.9 変わらなければならないものと変わってはいけないもの

vol.9 変わらなければならないものと変わってはいけないもの

世は情報社会の花盛り。よきにつけあしきにつけ、噂というものはまばたきをする間もなく世界中を駆け巡るのが現代社会です。変わらなければならないものと、変わってはいけないものとは何かと問いかけられたとき、我々は迷わず「金剛禅の教え」と「少林寺拳法の技法」が変わってはならないものであり、変わらなければならな…
法を問い学を修める

2010/02/01

vol.8 脚下照顧

vol.8 脚下照顧

「脚下照顧」――少林寺拳法入門時に道院長や先輩からその言葉の意味について、またその実践指導を受けます。最初は単に履物をえることと思い、日々修練のたびに揃えるのですが、そのうち自分の足元を見ることに気づき、更には自分自身を見つめ直すことに気づいていきます。「脚下照顧」は周知のとおり、金剛禅独自の言葉で…
法を問い学を修める

2009/12/01

vol.7 原点回帰

vol.7 原点回帰

「原点回帰」少林寺拳法において原点に帰るということはどのようなことなのでしょうか。開祖は存命のころから、事あるごとに我々に向かって、原点に帰れ、と呼びかけておられました。人、人、人、すべてはその人の質にあるという金剛禅運動の出発点は開祖の確信であり、また原点に帰るということは少林寺拳法創始の動機と目…
法を問い学を修める

2009/10/01

vol.6 北禅の風を継承する金剛禅

vol.6 北禅の風を継承する金剛禅

嵩山少林寺には、歴代の禅僧の墓塔や碑刻石など、その足跡を辿ることができる遺物が実に多い。同様に嵩岳をはじめ華北一帯には、幾つもの禅寺があり、墓石や碑刻石が、禅宗の教線拡大や継承に欠かせない重要なものであったことが知られるのである。華北の禅林においては、華南のような禅籍語録の出版普及より、撰文碑刻の石…
法を問い学を修める

2009/08/01

vol.5 禅源を樹表する達磨大師の碑

vol.5 禅源を樹表する達磨大師の碑

開祖は教範に達磨大師にまつわる碑刻石「蕭梁達磨大師碑」の拓本を掲げておられる。この碑は嵩山少林寺の大雄寶殿の前庭に今もある。有名な達磨と梁の武帝の問答以後、武帝は後悔し達磨の徳風を追慕し自ら文を製し顕彰の碑を建てたのであった。しかし数百年の歳月を経て碑の刻字が摩滅してしまったため、元の時代に再び建て…
法を問い学を修める

2009/06/01

vol.4 嵩山少林寺に問法修学した日本人僧

vol.4 嵩山少林寺に問法修学した日本人僧

嵩山少林寺といえば、昭和の初期、開祖が白衣殿の前にたたずまれ、少林寺拳法を発想された地である。その少林寺に元の時代、いくつかの足跡を残した古源邵元という日本人僧がいる。邵元は1295年(永仁3)越前に生まれ、若くして鎌倉や京都の禅寺に参じ1327年(嘉暦2)入元した。江南をはじめ中国の禅林各地を歴参…
法を問い学を修める

2009/04/01

vol.3 他者のせいにせず 他者とともに生きることを楽しむ

vol.3 他者のせいにせず 他者とともに生きることを楽しむ

2005年2月26日の夕刻、霙交じりの中を斎場に急いだ。かねてより治療中の身であることは存じ上げてはいたが、本山でもしばしばお見かけし、お体を案じられて聞かれる方にはいつも先生らしい飄々としたご様子でお応えになっていた。先生は、厳密な意味でわたしの師ではない。技については、かつて地方武専に出張教員と…
法を問い学を修める

2009/02/01

vol.2 身を整え心の清澄を図る

vol.2 身を整え心の清澄を図る

本山回廊から剃髪の教員の穏やかな声が聞こえる。「心ヲミガクヨウニ 一生懸命ベン器ヲフキマショウ」。その声を受けてか、学生の作務が静かに行われる。本山と同じく、道院においても鎮魂行に先立って作務が行われる。修練に先立つ作務は、修行の環境を自らつくる修行であり、修練後の作務は、修行のときを得たことへ感謝…
法を問い学を修める

2008/12/01

vol.1 自ら求めて魂を鎮める行をなすもの

vol.1 自ら求めて魂を鎮める行をなすもの

朝早く本山を訪れ、ある職員に面会を求めたときのことである。就業開始にはまだかなり間があったが、そのときの返答は、「今、鎮魂行をしております」というものであった。私は、少し驚き、少し感動した。鎮魂行は、易筋行に先立って行われる一連の儀式と思われがちであったから。そして、専従職員と呼ばれるように、彼らは…